HISTORY

 2023年、あのEXTASY RECORDSが20年ぶりに再始動する。1980年代から90年代に掛けて、EXTASY RECORDSはXやLUNA SEA、GLAYなどの作品をリリースし、メジャー・レコード会社を凌ぐほどの爆発的なセールスを記録。所属バンドを集めたイベント<EXTASY SUMMIT>を日本武道館や大阪城ホールなどで行ない、瞬間でソールドアウト。まさに無敵のインディーズ・レーベルだったことは、年季の入ったロック・ファンならよくご存じだろう。

 このEXTASY RECORDSは、もともとXが通算2作目のシングル「オルガスム」をリリースするために、XのYOSHIKIが1986年に始めたインディーズ・レーベルだった。

 今でこそパソコンやパソコン・ソフトの発達によって、音楽制作やジャケット・ワーク、さらにCD自体の製作は敷居の低いものになっている。やろうと思えば一人で何もかもできてしまう。しかし80年代半ば当時は、すべてがアナログの時代。完成させるまでに多くのプロセスや専門業者の手を通さなければいけなかった。そのため誰もがたやすく始められるものでもなく、曲をカセットテープに収録したデモテープを販売するというのが、インディーズ・バンドにとって音源リリースの主流となっていた。

 インディーズ・バンドのシングルやアルバムをリリースするインディーズ・レーベルも、もちろん存在していた。しかしそこから作品を出すには、レーベル側のお眼鏡にかなうバンドなのかを、曲や演奏技術、ライブや動員数などで、まず審査された。つまりバンド側がシングルやアルバムを出したいと考えても、そう簡単にはいかない時代だった。

 そんな時代を生きていたX。1985年にパンク専門レーベルのDA DA RECORDSからシングル「I'LL KILL YOU」を発表し、同年には神楽坂エクスプロージョンのオムニバス・アルバム『HEAVY METAL FORCE III』に参加するなど、東京を中心に活動を本格化させる前夜と呼べる時期だった。これから精力的に全国区で活動するために、バンドの存在をもっと知らしめる必要性があった。

 そこで考えたのが、デモテープが主流の時代にシングルをリリースして、音楽雑誌に広告も出して、インパクトを与えて注目をさせること。そのために自分たちのシングルを出してくれるレーベルを探したX。しかし、やりたいと返事するレーベルはいなかった。興味を持って話を聞いてくれるレーベルもあったが、お互いの理想をすり合わせていくうちに現実的に難しいとなり、それ以上、話が進むことはなかったという。

 それなら自分でやればいい、やりたいことをやりたいようにやるために。そう思った瞬間、行動を起こしたのがYOSHIKIだった。

「最初は何も分からなかった。だから、シングルを作るときに、一人でいきなりレコードのプレス工場に行った。“いくら出せばレコードを作ってくれるんだ”って。そしたら一覧表みたいなのをくれて、何枚プレスすれば、いくらぐらい掛るのか分かった。そして今度は印刷工場に言って、“ジャケットを作りたいんだけど、いくら払えばいいんだ”と。ジャケットには文字も入れるから、次に写植屋に駆けこんで、“いくらくらいでこの文字を打ってくれるんだ”って。それで今度は、いろんな人に雑誌に広告を打つにはどうすればいいのか聞いて。あとレコーディングするにはいくら掛るか、エンジニアはどういうことをすればいいんだとか問い合わせたり。全部、情報を集めたら、どうすればレコードが出て、いくらぐらい必要なのかが分かったという。それで、とりあえずシングルを出してみた、というところから始まった」(YOSHIKI談━━「無敵EXTASY BOOK」より)

 1986年4月、EXTASY RECORDSから記念すべき初作品となるXの「オルガスム」がリリースされ、Xはそのタイミングに合わせて初めての関西ツアーも行なっている。メンバーがバラエティ番組に何度か出演していたことも功を奏して、ライブの動員数は膨れ上がり、シングルのセールスも好調だった。だがレーベル自体がその作品をリリースするために設立されたため、その後、しばらくレーベルとしての動きは止まっている。

 レーベルが動き始めたのは、Xがアルバム『VANISHING VISION』を制作する1988年になってからのことだった。その前年である1987年にXのラインナップはメジャー・デビューするときの5人に固まり、インディーズとしては異例のビデオ無料配布ギグなども重ね、バンドの人気も急上昇。その年には何社ものメジャー・レコード会社からオファーも来ていたが、メリットはないということで、Xはメジャーからの話を断っている。なにしろレコーディングはもちろん、アルバムをリリースするためのプロセスや著作権管理のこと、プロモーションのノウハウなども、YOSHIKIはすでに熟知していた。またXの周りには“ローディ軍団”と呼ばれる信頼できる後輩やバンドたちもすでにいて、身内的なノリは強かったものの、いろいろ手伝ってくれる仲間たちがいた。

 そうした仲間たちがEXTASY RECORDSのスタッフとなり、Xの『VANISHING VISION』制作に全力で動いたという。

「少数精鋭部隊ですから。気合いの入ったスタッフばかりです」(当時のスタッフ談━━「無敵EXTASY BOOK」より)

 アルバム制作には当初の予定よりも時間は掛ったが、締め切りがあってないようなものなのが自主制作のいいところ。当時、音源の仕上がり日や取材の日時を聞こうとスタジオに何度も連絡したこともあるが、マネージャーやスタッフが出払っているときはYOSHIKIが電話口に出て、進行状況やアルバム内容を説明してくれたことも。レコーディング作業は毎日、明け方まで続いていたし、とにかく全員が一丸となって、いい作品を作り上げようとしていた。

 1988年4月、当初の予定より遅れたもののアルバム『VANISHING VISION』がEXTASY RECORDSからリリース。それまで勢いや過激さばかり目立っていたXが、高い音楽性やアレンジ・センスも見せつけることとなり、バンドの急激な成長も具現化したのがそのアルバムだった。それまでは1万枚突破がインディーズ・レーベルでの記録となっていたが、『VANISHING VISION』はリリースから1週間経たずして1万枚を突破。Xのライブも全国各地で動員記録を塗り替え、アルバムのセールスは伸び続ける一方だった。秋には2万枚を突破したことを記念して「STAB ME IN THE BACK(ライブ・バージョン)」のシングル付きアナログ・ピクチャー盤もリリースしている。

 また『VANISHING VISION』の発表後からすでにいくつかのメジャーとの契約交渉も始まっていたX。近い将来、Xがメジャーへ展開するとなったとき、YOSHIKIはEXTASY RECORDSの活動は終わせるつもりだったという。

 そこに待ったを掛けたのが、ローディ軍団と呼ばれる後輩やバンド仲間たちだった。

「みんな、俺に食って掛かってくるようなヤツらばっか。酒が飲めるとか、ケンカが強い、狂暴、生意気…、とにかく何かなければEXTASY RECORDSには入れないようにしてた。そういう条件をクリアして仲間になったヤツら」(YOSHIKI談━━「無敵EXTASY BOOK」より)

 そういう仲間たちが、まだ俺らの音源を出してもらってないと文句を言うもんだから、さあ、大変。EXTASY RECORDSはXの作品を出すためだけに作られたレーベルから、様々なバンドを手掛けるインディーズ・レーベルに変貌を遂げたのはこのときからだった。

 Xがメジャー・デビューした1989年、EXTASYからX以外の作品もリリースされ始めていく。ローディ軍団の仕切り役でもあるGEORGE率いるLADIES ROOMが先陣を切っている。貪欲なまでのエロ指向をそのままアメリカン・ロックンロールに乗せた、痛快にしてグルーヴィなサウンドがLADIES ROOMの魅力。EXTASY RECORDSから1988年にシングル「SWAPPING PARTY」をリリースし、翌年にはアルバム『SEX SEX SEX』も発表。彼らに続いたのが、ビデオを持って自らXのメンバーにアプローチしたZI:KILL。ポジティブパンクやニューウェーブ、メタルを飲み込んだ個性的な音と曲がZI:KILLの特徴で、YOSHIKIやHIDEがとくに気に入ったという。そこでEXTASY RECORDS内にZI:KILLのためのゴースト・ディスクというレーベルを作り、1989年にアルバム『真世界~REAL OF THE WORLD』をリリース。また世の中がアナログ・レコードからCDに切り替わった時代だったこともあり、1989年にはCD化したXの『VANISHING VISION』もリリースしている。

 さらに1990年に入ると、ビートロックにトライバルをかけ合わせた特異なスタイルを持つVIRUSの『MATERIALS』、ゴースト・ディスクからZI:KILLの2作目となる『Close Dance』をリリース。1991年にはLUNA SEAの『LUNA SEA』やローディ軍団の実力者たちが在籍する東京ヤンキースの『Do the DIRTY』、1992年にはポジティブパンクの遺伝子を受け継ぐGilles de Raisの『殺意』もリリース。EXTASY RECORDSから発表されたそれらアルバムは、インディーズ・チャートの上位を次々に記録したことで、まさにメジャーに負けないインディーズ・レーベルとして知られることにもなった。

 だがレーベルの規模が大きくなっていっても変わらないことがあった。それは各バンドが作品を制作するにあたって、アドバイスはすれども、余計な口出しはしないことだった。作曲も作詞もレコーディングも、完全に各アーティストに任せた。丸投げということではない。バンドや曲を気に入ってEXTASY RECORDSでリリースすることを決めたから、納得いくまでやってくれ、という方針だった。YOSHIKI本人がアーティストでありバンドマンだからこそ、そうした考えが常に働いていた。

 また作品をリリースするからには、絶対に売るという姿勢もEXTASY RECORDSの常だった。

「出すからには絶対に売ってみせます。EXTASY RECORDSはインディーズですけど、メジャーには負けないぐらいプロモーションには熱心です」(当時のスタッフ談━━「無敵EXTASY BOOK」より)

「EXTASY RECORDSをメジャーに対抗できるインディーズ・レーベルにしようと考えている。もちろんインディーズ的な発想のもとで、だけど。メジャーではできないことを、アーティストが納得するシステムでやっていきたい」(YOSHIKI談━━「無敵EXTASY BOOK」より)

 プロモーションのことでいえば、音楽雑誌への広告が印象的だった。バンドのメンバー自らの発言が大元になったというが、XのCD化された『VANISHING VISION』の雑誌広告のキャッチコピーは「秋の夜長にロケットパンチ」である。1989年10月のリリースに合わせた広告だった。さらにLADIES ROOMの『SEX SEX SEX』のときには「オナニーしながら聴きなさい!!(ジョージ談)」と「…俺、友だちやめようかな(YOSHIKI談)」という二段重ねのキャッチコピー。また東京ヤンキースが『Do the DIRTY』をリリースするときには「寝言は寝て言え!!」という、すさまじいキャッチコピー。そしてLUNA SEAの『LUNA SEA』のときには、敢えて天地が逆(上下がさかさま)というデザイン。雑誌読者からは出版社に「まちがいなのか?」という問い合わせも殺到。とにかくEXTASY RECORDSの打つ雑誌広告はインパクト絶大だった。

 またバンドの作品をリリースして売るというレーベル運営だけに留まらなかったのもEXTASY RECORDS。それが冒頭に書いたイベント<EXTASY SUMMIT>の開催である。

 初回は1988年に大阪のライブハウスでLADIES ROOMやZI:KILL、BY-SEXUALらが出演。2回目からは東京の目黒鹿鳴館で開催されるようになった。当初は若手バンドを育成するためという、それらしい目的やテーマはあったはずだが、黙っていられないのがXのメンバーやバンド仲間。

 2回目のときには、ZI:KILLのステージにHIDEが飛び入りして歌うわ、LADIES ROOMのステージにはTOSHI(現Toshl)も飛び入り。またYOSHIKIやTAIJI、COLORのDYNAMITE TOMMYなどによる無敵BANDが登場したのも2回目のこと。すでに2回目から若手バンド育成なんて目的はどこへやら、EXTASY RECORDSのお祭りと化していた。ライブハウスでは瞬間ソールドアウトで苦情も相次いだことから、4回目にあたる1989年9月の<EXTASY SUMMIT>は渋谷公会堂(現LINE CUBE SHIBUYA)で開催。それでもファンからの嬉しい苦情はやむことがなく、5回目となる<EXTASY SUMMIT>は1991年10月に日本武道館で行なっている。さらに1992年10月には6回目となる<EXTASY SUMMIT>を大阪城ホールと日本武道館で成功に収めている。

 それら<EXTASY SUMMIT>は、会場の規模が大きくなるにつれお祭り感も拡大していったのが特徴。ライブハウス時代は飛び入りぐらいのレベルで済んでいたものが、武道館規模になると、各バンドのステージの他に意外な組み合わせのコラボレーションが行なわれたり、機材転換時に司会者とのトークで楽しませたりも。もちろん<EXTASY SUMMIT>のラストを締めくくるのは、出演アーティスト勢揃いの無敵BANDだ。

 また映像作品として5回目の模様は『無敵と書いてEXTASYと読む!!~EXTASY SUMMIT'91 AT NIPPON BUDOKAN~』、6回目の模様は『みんな無名だった、だけど…無敵だった~EXTASY SUMMIT 1992~』に収められている。すでにメジャーのレコード会社と契約している出演バンドがほとんどで、契約問題も絡んだが、インディーズのEXTASY RECORDSだからOKという無敵っぷりも発揮した。

「あのビデオが発売されたのは奇跡的だよね。なぜ、いろんなレコード会社のアーティストが集まってビデオを出せたんだろうっていう。レコード会社が違うからとか、権利問題があるから参加できないっていうのはつまんないし、そういう変なところで競争すべきじゃない。露出したうえで競争したほうがプラスになると思う」(YOSHIKI談━━「無敵EXTASY BOOK」より)

 6回目以降は<EXTASY SUMMIT>は開催されてはいないが、EXTASY RECORDSからはモダンヘヴィネスのYOUTHQUAKEを排出したり、YOSHIKI自らが契約を決めたGLAYの『灰とダイヤモンド』を1994年にリリースしている。また2000年にはレーベル誕生15周年を記念したオムニバス・アルバム『History of EXTASY 15th Anniversary』も発表。

 だがYOSHIKIが本格的にアメリカを本拠地に活動を始めたことや、EXTASY RECORDSから派生したメジャー・レーベルをいくつか立ち上げたことなどもあり、2002年以降、インディーズ・レーベルとしてのEXTASY RECORDSは活動を休止した。

 それから20年経った2022年。EXTASY RECORDSが本格的に再始動を果たす。現在代表を務めるYOSHIKIの実弟である林 光樹が、母親の他界後に当時の思い出としてEXTASY RECORDS関連の作品をツイッターで上げたのが、ひとつのきっかけになっている。当時のファンや当時を知らなかった新たなファン、さらに世界のロック・ファンから熱い反応が起こったという。そしてEXTASY RECORDSの本当の代表であった母親からの「あとは頼んだよ」という言葉。全てが結びつき、EXTASY RECORDSに再び命を吹き込むことに決めた。2023年、新生EXTASY RECORDSの第一歩が始まる。

(2022.12 長谷川幸信)

★EXTASY RECORDS★

━━1986年━━

●X「オルガスム」(アナログ盤)1986年4月

●POISON「Mystery temptation」(アナログ盤)1986年8月

━━1988年━━

●X『VANISHING VISION』(アナログ盤)1988年4月

●LADIES ROOM「SWAPPING PARTY」(アナログ盤)1988年6月

●X『VANISHING VISION』(ピクチャー盤)1988年10月

━━1989年━━

●LADIES ROOM『SEX SEX SEX』(アナログ盤)1989年7月

●LADIES ROOM『SEX SEX SEX』(CD)1989年9月

●X『VANISHING VISION』(CD)1989年10月

━━1990年━━

●VIRUS『MATELIALS』(CD)1990年4月

●EX-ANS『HABIT OF SEX』(CD)1990年5月

━━1991年━━

●LUNA SEA『LUNA SEA』(CD)1991年4月

●TOKYO YANKEES『DO THE DIRTY』(CD)1991年5月

━━1992年━━

●Gilles de Rais『殺意』(CD)1992年1月

●Various Artists『無敵と書いてEXTASYと読む!〜EXTASY SUMMIT '91 AT NIPPON BUDOKAN〜』(VIDEO)1992年2月

●THE ZOLGE『DEADLY SANCTUARY』(CD)1992年3月

●Various Artists『無敵と書いてEXTASYと読む!〜EXTASY SUMMIT '91 AT NIPPON BUDOKAN〜』(LD)1992年3月

●TOKYO YANKEES『Overdoing』(CD)1992年10月

●SCREAMING MAD GEORGE & PSYCHOSIS『Paranoiascape』(CD)1992年11月

━━1993年━━

●Gilles de Rais『BECAUSE』(CD)1993年1月

●Media-Youth『Awake of youth』(CD)1993年2月

●Various Artists『みんな無名だった、だけど…無敵だった〜EXTASY SUMMIT 1992〜』(VIDEO,LD)1993年5月

●SCREAMING MAD GEORGE & PSYCHOSIS『TRANSMUTATION』(CD)1993年6月

━━1994年━━

●YOUTHQUAKE『QUAKE DOPE』(CD)1994年3月

●YOUTHQUAKE『YOUTH…MINE AND THE TRUTH』(CD)1994年3月

●GLAY『灰とダイヤモンド』(CD)1994年5月

━━1995年━━

●HYPERM∀NIA『虹の向こうへ…』(CD)1995年7月

━━1996年━━

●YOUTHQUAKE『YOUTHQUAKE』(CD)1996年1月

●Acid Bell「“Kiss My Acid 96” Episode II」(CD)1996年5月

●HYPERM∀NIA『Together along』(CD)1996年7月

●Acid Bell『SPEAK?』(CD)1996年10月

━━1998年━━

●Various Artists『LIGHTNING & THUNDER』(CD)1998年10月

━━2000年━━

●Various Artists『History of EXTASY 15th Anniversary』(CD)2000年6月

━━2001年━━

●PICK2HAND『クサ イキレ』(CD)2001年4月

━━2002年━━

●ラヴィアンローズ『L STYLE』(CD)2002年10月

★EXTASY 内 GHOST DISK★

━━1989年━━

●ZI:KILL『真世界〜REAL OF THE WORLD〜』(アナログ盤)1989年3月

●ZI:KILL『真世界〜REAL OF THE WORLD〜』(CD)1989年7月

━━1990年━━

●ZI:KILL『CLOSE DANCE』(CD)1990年3月

━━1992年━━

●ZI:KILL『Tomorrow...』(CD)1992年7月

★EXTASY 内 under ground garage★

━━1993年━━

●DEEP『Dear Rockers』(CD)1993年

━━1995年━━

●Breath『ガラクタの唄』(CD)1995年12月

━━1997年━━

●THE HATE HONEY『DETROIT』(CD)1997年6月

━━2001年━━

●ラヴィアンローズ『人生1才〜5才』(CD)2001年5月